欲すればぁ

欲すれば与えよ。

中国の古典の言葉らしいが、だいたい何かに行き詰った際に思い出すようにしている(行き詰まるのは、したいことができない時が大半だ)。人のことが知りたければ、まず自分のことを知ってもらう。情報を集めたければ、まず発信源になる。優しくして欲しけりゃ優しくしてやる、甘えたければ...少々それてきたのでこれ以上の例示は必要あるまい。

ただ行動指針としてではなく、この考えは非常にプラス思考である。

面倒な雑用をさせられても「雑用を減らしたければ、まず引き受けよ」と考えられるのだ。若いうちは人の嫌がる仕事を進んで引き受けよと、どっかに書いてあった。こんなこと書いている時点で、今は精神的に健康な状態にあるのかも知れない(ヘコんでたら、まずこんな日記書かない)、しかし少なくとも気が滅入ってしまいヘコんでいる時間は、この考えで多少引き伸ばすことはできるかも知れない。

どんな面倒なことでも「仕方ない、まず与えてやるか」と思う(口に出して言ってはならない、エラそうだ)ようにすれば気が休まるからだ。

欲すれば忘れよ。

これは引用でも何でもない、私が常々意識していることだ。与えるどころか欲求の対象物に対して、できるだけ無関心を装う。通常、何かしら提供した結果として得られるもの(金とか愛とか)に対する見返りを一切求めず(求めるふりをせず)、一心に提供し尽すと、意外と本来欲していたものが得られるのではないだろうか。

社会貢献、公共性を最優先すると知らん間になんか儲かっている。モテたいことを忘れて、好きなことに没頭すると人としての魅力が増す。などがあろう。目的と手段を履き違えるのを防いだり、見かけ表面上のハウツーに溺れたりしなくなると思うのだが、いかがだろう。

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