30
5月
2006
5月
2006
選択肢に満ちた世界
当然のことで今更感、自由を得るには自己責任という代償が求められる。
いわゆる「自己責任」というヤツだ。
できちゃった婚で結婚する時には、この自己責任という言葉が重くのしかかったトラウマ(?)からか、あまりこの言葉は好きになれない。自己責任という言葉から逃れたい一心で、いっそのこと引かれたレールの上を(終着点を知りつつ)走ることの方が、余程楽なのではないかとすら思えてくる。
「選択肢に満ちた世界」という表現は、ある書籍に書かれていた表現なのであるが、非常に気に入っている。
そこは自由な世界が広がっているにも関わらず、満ちているものは、あくまで「選択肢」であるのだ。
自由であるから「何をやっても」「自分さえよければ」という無秩序で欲望に身を任せた考えに収束するに陥りにくく、今ある選択肢には現実的な解が「落としどころ」としてリストアップされないだろうか。そうした選択肢の中から決断した責任であれば、感情論で問い詰められることへの防御も比較的しやすいと気がしている。そうした精神的なシェルターという意味で、こういった視点も良いのではないかと思うのだ。
そう、この世界がどれだけ自由だとしても、決断は数ある中のひとつの選択肢でしかない。他からの制約を一切受けない真の自由などは存在せず、ただ、選択肢が限りなくあるだけだ。選択肢に満ちた世界とは、即ち自由な世界であるのだ。と考えるようになった。
うまく書けず、かつ重たい内容であるが、以前から書きたかったことのひとつだ。誰がどう読もうが気にするめぇ。
こんな内容を「自己満足」という欲望のみでキーボードを打ったのは皮肉なことだ。
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Category: 雑感
>自由であるから「何をやっても」「自分さえよければ」という無秩序で欲望に身を任せた考えに収束するに至りにくく・・・
今までの自分を考えるとこれとは逆のことばかりしてきたような気が・・・。
そんな選択でも結果が伴えばいい、という考え方をしていた時期もありました。
結果が伴ったためしはなかったのですが。
うーん、未熟×100。
昨日まで2年と少し、本当にお世話になりました。
(ご迷惑は山のようにおかけしました・・・。)
ハングリーさがあるうちに勝負をかけてみます。
また呑みましょう、ソウルトゥソウルで。
ふはは。先月最終週の作業登録ができていないとの噂でございます。
凹ますのはこのくらいにしておいて、「あるうち」じゃなくて、勝負を賭けたあともハングリーさは欠いちゃいかんと思いますよ。ともあれ「この道より、われを生かす道なし。この道を歩く。」です。一番の大勝負をひっそり応援しております。
是非ご一緒しましょう、韓国料理。いや、韓国料理に固執するわけではないのですが。。