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娘がベホマをおぼえた

久々に何もない週末。家にあるそれいけ!アンパンマン アンパンマンのダンス・ダンス・ダンスというDVDが見たいという娘のために、PS2を引っ張り出してくる。昼食後でエネルギーが充満している娘はおはしゃぎでテレビに合わせて踊っている。かなり難しいダンスのようで、ヘタすりゃ1小節毎に目まぐるしく変わる踊りに娘はついていけていないようだ。
30分もしないうちにDVDが終わると、ドラゴンクエストV天空の花嫁が見つかってしまった。興味深々だが何も判らない娘に対し、スティックレバーを動かして進むことと、「おばけが出てきたら○連打する」ことだけを教えたら、案外滞りなく遊びよる。知らない間に横でウトウトしてしまったら、気付いたら主人公が「ベホマ」を覚えるまでに成長し、所持金も倍くらいに増えてやがる。
旦那が遊ぶドラクエの「カジノ」だけ遊んでいるという友人がいたのだが、うちは「レベル上げ」だけ娘にさせているということになる。しかも私は横で昼寝をしているという怠けっぷりだ。いくら娘本人が楽しんでいるとはいえ、あまりにも申し訳なくてベホマを唱える気にならない。

モチベーション

私の友人には、仕事への意欲が低下している方がいらっしゃる。以前、会社で上の人から突きつけられた「何のために仕事してる?」という質問を、その友人も振りまいている。思えば、あれから一年くらい経過しているか。今一度、自分自身で考える機会なのかも知れない。
あれから、そのテの書籍を買いあさって読んだものの、明確に「働く理由はコレだ」というものが見つかった訳ではない。考えてみれば、そらそうである。人によって、意欲のその源泉はまちまちであるし、同じ人でも周りの環境や時期によって、異なってくるものなのだろう。ましてや本を読んで答えが簡単に見つかろうものなら、ニートなんて言葉すら存在しないはずだ。
しかし、お金(食べ物を含む)を得る理由以外に、こんなことが理由にできたらいいなと思うヒントは、幾つか見つけられた。もし、私と同じく手探り状態の暗がりの中で、突破口と表現するにはあまりにも遠いながらも、糸口なり、心もとないけど僅かな光が見えることになればと思い、今の考えを綴ってみる。
マズローの欲求段階説、というものがあるらしい。詳細は他のサイトにて情報を得ていただきたいが、身の安全や生理的欲求が確保できると、社会的・人間的な関係性や認められること(自尊)の欲求が生まれ、さらには自己実現へと意識が向くようになるというもの。もし、仕事を続ける・選ぶ理由に精神衛生を含む心身の安全や金銭的な欲求が第一にあがるのは、決して積極的ではなく、喜びや充足感を得ることを放棄してしまっていることであると認識せねばならない。
では、高次の欲求である尊敬欲求とは、単に上司に褒められることであると決め付けるには早急である。別のソースから得たものであるが、

人間の成長とは「したいこと(希望)」と「できること(能力)」と「すべきこと(責任)」のバランスを保ちながら、それぞれを頂点とする正三角形の面積を大きく広げていくプロセスだと思う。

成功前夜 21の起業ストーリー

という考えに強く共感した。人のため、社会のために尽くしているという(一種自己中心的ではあるが)充足感や感謝によって得られる自尊は、自身の中に確固と築きにくく脆いものではあるが、人として得られるものは金銭的な報奨よりも大きいのではと思っている。それを軸に、自分の能力を活かし、また、正のフィードバックでそれを高めていけるとすれば、自然と自分の希望(したいこと)が明確になり、金銭的報奨も後からついてくるものではないか。

マズローの説では、最高次元として「自己実現」の欲求を挙げているのだが、今の私には自尊を欲し、得られるようになるそのプロセスにおいて、既に自己実現が始まっているように思えることから、自己実現が尊敬欲求よりも高次元に据えられているのを理解できずにいる。しかし、利己の欲求を満たそうとすればするほど、利他の要素が不可欠なり壁にぶつかるのではないか、他者との関わりを通じて初めて自分というものが明らかになると考えたうえで、本当に「したいこと」を描いてみようと思うのです。取り留めなく書き殴りましたが以上であります。

うんどうかい

日曜日は、保育園の運動会。

うちは、クラスの中で「運動会係」に任命されているらしく、我が家にてそのまま私が設営準備、用具係にその任を授かる。昨年までとは異なり、今年から隣の大きな保育園に移って最初の運動会であるが、その規模とは、小学校のグラウンドを借りて行うほどの大規模なものだ。 運動会の準備作業の労力を例年と同じような感覚で考えていたのが甘かった。

8時に集合し、前日荷下ろしして、借りた教室に詰め込んだ用具類をトラック傍らまで運び出す作業。ここから既に私の「うんどうかい」は始まっている。その後、運動会の全競技で使用する用具類の確認をしていたら、運動会そのものが始まってしまう。

この辺りでやっと理解する「あ、今日は観覧席から見れないのだ」と。

競技中は、常に次競技の用具をすぐ運び出せるよう準備しておく必要がある。「ピンクの台(中)て、数足らなくないですか!?」「いや、今の競技で2つ使ってます!」てな具合でやりとりする中、用具置きのスペースに堂々と入り込んで、必死で手を振りながら写真撮影してる輩も現れる。もちろん、自分の子の出番には、本部横という用具置き場のメリットを活かし、絶好のポジションから携帯カメラ(普通のカメラは、妻に預けておかざるを得なかった)から撮影に成功。他のお父さん方も、用具置き場というポジションを利用するばかりか、ピンクの台(中)を二つ重ねた上に座り込んで、高視点という非常に贅沢なアングルからビデオカメラを撮影しておられる。なるほど、観覧席での観戦を犠牲にした用具係には、それに見合う報酬が用意されているということか。

子供よりも活動量の多い用具係である。全工程が終了して、片付け終わったあとに缶発泡酒が振舞われる。充分に冷えているとは言えないが、こんなうまいビール(発泡酒)はめったにない。日頃、仕事で保育園とは疎遠になっているからこそ、イベント時には協力を惜しむまい、と考えてきたが、今回はさすがに頑張りすぎた。翌日の今日は、しっかり全身が筋肉痛である。

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