旦那の嫌な所、直してほしいところは「理屈っぽいところです」
随分前になるのだが、同期入社の友人(男)の結婚式の二次会でお嫁さんが発した回答に衝撃を受けたのを今でも覚えている。たぶんそれは、私の妻も言いそうであり私自身思い当たるフシがあったことが衝撃の理由だったのだろう。妻がというより女性が非常に自身の感情を大事にすること、私がというより男性が非常に常識的理論を優先させることから生じる衝突や食い違いは、私の結婚以来の大きな関心事であった。
分裂勘違い君劇場に掲載されたまっとうな理屈の通じない女性と良好な関係を築く方法という記事は、まさに私の長きモヤモヤに対するピンポイント爆撃のようであり、漠然と抱いていたが消えかけていた断片的な思いが沸き起こるのを感じ、このエントリを記す。
ここで書かれてある
男性がもつ「みなが納得するような道理」が通用するのも、「みながいる空間」においてだけなのです。二人しかいない空間では、どんなに正しい理屈をこねても、まったく不毛なのです。
との記述に激しい共感を覚え、納得する。結婚した男女に絞れば、まさに物理的にも社会的にも閉じられた二人しかいない空間で繰り広げられることであり、乱暴な表現をすれば、評価ルールの異なる一対一の異種格闘技戦なわけである。勝ち負けの判定すら両選手間で異なるから、そもそも勝負にならなかったりする。夫婦間に子供がいれば、その子はその閉じられた空間内において、全ての物事をここでいう「自分」と「バケツ」から習得していくことになるのだから少々恐れを感じてしまう。
上記エントリにある結論のひとつに「男性の論理が通用しないことをはじめから覚悟」することが挙げられている。そう、この覚悟があるだけでも大きく前進できやしないか。さらに言うなら「こいつには分かりっこない」と感情の土俵に乗せられるのではなく、せっかくだから覚悟を踏まえたうえでの理屈を推し進めたい。相手もそうであれば、自分自身もそうそう思考回路を組みかえられるハズがない。男の論理は通用しないという大前提の上に論理を一段高めることで、お互い折衷すべき落とし所を探りたい。
そういや先日、私のとある後輩の強き結婚願望を聞くことがあった。この衝突は、一見非常に面倒臭いように映るものかも知れない(事実面倒臭い)が、これまでに、開かれた社会ばかりを歩んできた「結婚するまでの男性の人生」においては、経験し得ない非常にチャレンジング(必ずしも悲観的な意味ではなく)な壁であることを一言添えておきたい。