500エントリ記念のシナリオ

帰宅したら娘がまだ起きていた。帰るなり早々に、そして興奮気味に、今朝落雷があって保育園が停電した旨、子供たちが皆大泣きして大変だった旨を娘の口から聞かされる。へぇ、なかなか貴重な体験だなぁみたいな感想を言いつつ、妙な違和感が沸き起こるのに気付く。
> 子供たちが皆大泣きして大変だった
うん、やはりここだ。
子供であるキミの立場でこの表現はおかしい。ワン オブ 大泣きッズ に違いないだろうに、何だ「大変だった」だ。どう大変だったのだ。「あーキミちょっと走ってブレーカー上げてきてくれへんやろか?」とか頼まれたとでも言うのか、いや、それでも大変じゃーない。
素直に怖かったとか表現してくれれば良いものを、なんで若干の(それがまた余計に小憎らしい)「上から目線」なのだ。 しかし、どことなく私の血をひいている気がしなくもないあたりが増してヤになる。
なるほど、それで自宅のサーバーがダウンしていたのだな。こうして復活してるのをみると、ブッ飛んではいないようだ。UPS(無停電電源装置)でも設置するか、などという冗談はさておき、それでも今まで書いてきた記事が天に召されるかとを思うと、少々残念で怖い。
だって一体どれだけ書いてきただろう?数えてみたら、なんとこれがちょうど500エントリ目。まるで筋書きがあるかのような展開!と驚くところまでが、2週間前から準備していた台本だ。盆を過ぎて、猛暑のピークが過ぎ、大気の状態が急に不安定になるだろう予想まで的中した。「この季節、もし雷でも落ちて停電にでもなったら」というフレーズを「つなぎ」に利用する予定だったが、さすがにホントに雷が落ちて停電になるとは思いもしなかった。 さてこの話は一体どこからがウソなのでしょう。

見比べたっていいじゃない

ある後輩のデスクに28歳からのリアルという書籍が並んでいるのを発見、なんだか色々と悩んでいたから余計にリアル。帯なんかに「萎えたオヤジにならないために」とか書いてある、確か、仕事や家庭や金事情などの統計が列挙されている本だったと記憶しているのだが、なんだかふと、あることが思い起こされた。
「突撃となりの晩ごはん」
一体何が思い起こされて、何が言いたかったのかと言うと「もしかすると、人の幸せって他の人と比べることでしか成し得ないんじゃないか」という話。前述の本にしても、「プレジデント Family」の毎号似たような特集記事にしても、上記ヨネスケの一世を風靡した企画にしても、その目的、興味の源泉は「自分と他人を比べること」に他ならない。(横道に逸れるが、この原動力はおそらく凄まじい。「他人と比較すること」に関するコンテンツのマーケットパワーは大きいのだろうな。)
つまりは、一見、自身だけ「満ち足りている/いない」を判断しているように見えても、実は比較対象としての他人の存在が不可欠であるということ。さらには、比較の上での相対的な「幸福さ」しか実感することができないのではないか、など種々の仮説が連鎖的に沸き起こったのだ。
私の「井戸」から見える世界だけで少し帰納を進めてみる。
マズローの欲求階層説では、人の欲求とは、生理的欲求・安全の欲求・所属の欲求・自尊の欲求・自己実現の欲求と順に下層の欲求が満たされて始めて上位の高次元が欲求が生まれてくると説明している。私は最後にある「自己実現の欲求」というものが理解できずにいた。「自己実現=なりたい私、したいこと」への欲求?と言われても、なり「たい」し「たい」ってそもそも欲求やないの?とか考えると、グルグル頭ん中が回りだして、とぉろりバターになってしまっていたのだ。しかし、ここでいう相対的な幸福さというキーワードを使うことで解釈ができる。
自尊の欲求と自己実現の欲求を分かつ大きな要素に、評価が相対的であるか絶対的であるかという違いがある考えてみる。つまり、他人(ひと)より優れている、裕福である、有能であるそういった相対的評価を追い求め、そして満たされると、自己の絶対的価値観のうちにある尺度によって自身の評価を高めようとする思いへと昇華される。それを自己実現への欲求と呼ぶのではないか。そう考えるとなんだかスッキリした。

「1」の魔力

先日いただいたゴルフクラブを下げて、ゴルフ練習場のデビューを果たす。
大学の授業で2、3回体験したことのある程度で、ほぼ初めてに近い状態なので7番アイアンのみで、100球ほど叩く。50球ほどすると、どうも自分は右寄り1時の方向に打球が傾くことを感じ始める。4球に1球がボテ、残りが全て1時の方向に飛んでいくのである。これはかなりの確率だ、というか飛んだ場合には、ほぼ1時と見て間違いがない。
そこで、私はあることをひらめく。
11時の方向を向いて11時の方向に打てば、見事真っ直ぐ12時の方向に飛ぶのではないか?
うはー、我ながら天才だ。
立ち位置を「5時-11時」を結ぶ線上にずらす。ボールの位置はそのままだから、そこを基点にして立ち位置を回転させるような格好だ。長方形の人工芝を対角線に近いラインで振り抜くことになろうか。あとは、今までと同じようにクラブを振るだけだ。ゆっくり、いつものとおり。ただしラインは対角線。。
パシュコーン。
見事、打球は「1時」の方向に飛んでいく。
驚く以前に爆笑、ツッコむ言葉も浮かばない。
正直、この場合に11時方向に真っ直ぐ飛んでいくのはあると思ってた。ダーツでも20点を狙うと1点に刺さり、ならばと1点を狙うと1点に刺さる一種の「磁場」が存在することは身をもって体験している。しかし、これでも1時方向なんてことは想像もしていなかった。きっと、どこかが歪んでいるのだと思い、手首を疑ってみる。打ち抜く際に手首をひねっていたとしたら、打球面が右に開き、それゆえ1時方向に流れるのは十分に考えられるからだ。
そこで、打つ際にどれだけひねっていたとしても衝突面が真っ直ぐを向くように、めイッパイ逆さにひねった状態でクラブを握ってみる。衝突面は、愚かにも「私」の方を向いて金属らしい光りを発している。いやん、お願いだからこっちに飛んで来ないで欲しい。知らぬ人が見れば「こいつ打つ気あるのか」という疑われかねない。周りの人よ、あまり見ないで欲しいフザけてる訳じゃないの。
それ。
ペコーン。
いやはや、すばらしい。やっぱり打球は「1時」の方向に飛んでいく。
もうここまでくれば「想定内」だ。驚きもしないが、もう笑いが止まらない。これはある意味すごいことだ。立ち位置や手首のひねりといった要素を全く無視して1時に飛んでいくのだ。これはもう、心理的にアンカリングの状態にあるか、もしくは、それこそもう物理的に吸い寄せられているようにしか思えない。どちらにしても驚異的なパワーだ。
退社後、クラブケースを購入してきた、これで来週朝にもう一度練習に行くぞ。

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