先日、とある先輩がうちのサイトをご覧になったとのご連絡をくださった。曰く、視点や言葉遣いがよく楽しめたとのこと。やっとのことで最近、言葉の選び方や運び方などの「調子」が良くも悪くも安定してきたのでは、と薄々自分でも感じられるようになってきた矢先のことだったから、それはもう諸手を上げて喜びたい。
早いことサイトの書く「調子」を安定させる、その上で自分が心から想うこと、願うこと、憂うこと、示したいことを急いで全て「吐き出して」しまいたいという気持ちに心が焦っている。
よう考えたら、なんでやろ?
想いを同じくする人との繋がるきっかけを求めていたり、単なる自己開示欲であったり、そもそも見えていない自分を見つける術であったり、はたまた何かを遺したいという気持ちであったり。ブログでなくSNSであろうと、プロフィールを開示して、興味を同じくするヴァーチャルなコミュニティに所属することも、程度の大小に差はあれど、社会に対して自分を開示し、そことの繋がりを望み求めることに違いはない。
そう考える中で、少々(私にとって)ショッキングなエントリを発見。
老化というのは、その人のアーキテクトを、ネットワークに開示していく過程に似ている。
(中略)
大手になって、読者が増えると、管理人は読者を裏切れない。大手なりのリアクションが求められて、たぶん読者も「いつもの切り口」を求めるから、サイト管理人の振舞いは固定化していく。
管理人の考えかたや立ち位置はネットワークに遍在するインフラとなって、サイト管理人の言動には、いつのまにか「責任」みたいな制限が課せられる。
サイトが大きくなって、ネット社会での発言力がだんだんと大きくなるに従って、その人の自由度は減っていき、その人のアーキテクトや、作り出したニッチというものは、他の人によって置換可能なものへと変貌してしまう。「ネットワーク依存性と老化の関係」レジデント初期研修用資料
自己開示してる人が老けるなどという解釈はしたくない。老化とは、良く言えば成熟化とも考えられるし、私の望む自己の確立とも解せる。しかし、流行り廃りが激しく、何事もライフサイクルが急激に短くなり、一瞬にしてコモディティ化されてしまう世の中では、それがすぐに足枷になることへの警告を意味するのだろう。
少し寄り道になるが、先日「白い恋人」で有名な北海道の菓子メーカー石屋製菓が、賞味期限を偽っていた旨のニュースが報道された。うろ覚えだが、社長さんが「一番の原因は社の急成長にある」といったことを述べておられた。このコメントにしても、会見での受け答えにしても、私にとっては逆に「あぁいい会社なんじゃないの?」と思えるような印象を受けた(もちろん賞味期限の偽りは許される話ではないが)。社内での成功体験が手枷足枷になり、他のライバル社より何より恐れらるのは、どこでも声高に唱えられている話なのだ。つまりはそうゆうことなのだろう、「老化」という表現がしっくりきた。
話は返って私のブログについて。
引用先の論を鵜呑みにするなら「大手」であったり「読者の多い」サイトについて述べられているのだが、規模の大小や読者の多少は一切関係なくとも「えーなんだか最近一本調子じゃないの?」とかならないためにしなくてはいけないことがある。ドロドロの状態から始めて、ちょっぴりその姿が確認できるようになってきたそのスタイルは、すぐさまスクラップ、破壊していかなくてはならないのではないか、ということだ。突破口は、「いつも」でない切り口や、私が「書きそう」に「ない」こと、そして「隠し」たりして「収束に向かうこと」を意識させないことだ。
うーん、 とりあえず、おっぱっぴ~♪ あぁ無理。