8月
2007
見比べたっていいじゃない
ある後輩のデスクに28歳からのリアルという書籍が並んでいるのを発見、なんだか色々と悩んでいたから余計にリアル。帯なんかに「萎えたオヤジにならないために」とか書いてある、確か、仕事や家庭や金事情などの統計が列挙されている本だったと記憶しているのだが、なんだかふと、あることが思い起こされた。
「突撃となりの晩ごはん」
一体何が思い起こされて、何が言いたかったのかと言うと「もしかすると、人の幸せって他の人と比べることでしか成し得ないんじゃないか」という話。前述の本にしても、「プレジデント Family」の毎号似たような特集記事にしても、上記ヨネスケの一世を風靡した企画にしても、その目的、興味の源泉は「自分と他人を比べること」に他ならない。(横道に逸れるが、この原動力はおそらく凄まじい。「他人と比較すること」に関するコンテンツのマーケットパワーは大きいのだろうな。)
つまりは、一見、自身だけ「満ち足りている/いない」を判断しているように見えても、実は比較対象としての他人の存在が不可欠であるということ。さらには、比較の上での相対的な「幸福さ」しか実感することができないのではないか、など種々の仮説が連鎖的に沸き起こったのだ。
私の「井戸」から見える世界だけで少し帰納を進めてみる。
マズローの欲求階層説では、人の欲求とは、生理的欲求・安全の欲求・所属の欲求・自尊の欲求・自己実現の欲求と順に下層の欲求が満たされて始めて上位の高次元が欲求が生まれてくると説明している。私は最後にある「自己実現の欲求」というものが理解できずにいた。「自己実現=なりたい私、したいこと」への欲求?と言われても、なり「たい」し「たい」ってそもそも欲求やないの?とか考えると、グルグル頭ん中が回りだして、とぉろりバターになってしまっていたのだ。しかし、ここでいう相対的な幸福さというキーワードを使うことで解釈ができる。
自尊の欲求と自己実現の欲求を分かつ大きな要素に、評価が相対的であるか絶対的であるかという違いがある考えてみる。つまり、他人(ひと)より優れている、裕福である、有能であるそういった相対的評価を追い求め、そして満たされると、自己の絶対的価値観のうちにある尺度によって自身の評価を高めようとする思いへと昇華される。それを自己実現への欲求と呼ぶのではないか。そう考えるとなんだかスッキリした。
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