10月
2007
できない・足さない
最近、新しいことを積極的に始める機会が多い。というか、多少無理してでも新しいことに身を投じてみている。新しく趣味としてゴルフを始めてみたり、仕事が終わったあとに英語をイチから習ってみたり、空いた時間で他の仕事をしてみたり。。
もともと時間が「ないない」と思い込んでいたこともあり、また強烈に面倒臭がりの性格からして、この状態は、無理をしているというより躍起(ヤッキ)になっていると表現する方が近いかも知れない。長い人生で見たときにこの数年は、私にとって人としての器や幅を広げるために必要な「踏ん張り時」なのだろうと考えている。
しかし、一方で何かを止めてみたいとも思っている。新しく何かを始めるのと同じくらい強い気持ちで、何かを手放したい。教科書的な「良い」例なら、それはタバコやテレビゲームかも知れないし、些細なところでは、それは買ってみて「たいして面白くないな」と思えるような書籍の購入や、聴いていた音楽の1ジャンルかも知れない。
時間が有限である以上何かを新しく詰め込めば、当然何かに割いていた時間は少なくなるのは自明の事実だ。精神論を振りかざして「時間は作るものなんだよ」と言ったところで、睡眠時間を割いてまでして体調を崩すようでは嘲笑の的だろう(もちろん「あれもこれも」と求める欲は大事にしたい)。
できないこと、やらないことをリストアップしてみても面白いかも知れない。真っ白なキャンバスに四隅の余白から描くことで本来の対象物のシルエットを浮かび上がらせる絵画のアプローチを、自己表現という手段に利用してみてはどうだろうか。コレとアレができません、ちなみにアレは大嫌いです、こんな事には欠片も興味がありません、あんな事はどーでもいーと思ってます、それが今の私です。
選択と集中やらコアコンピタンスやらアウトソースやら、ビジネスの世界で騒がれていることも、結局は自身の余白を表現・定義することが逆に難しいということの裏返しなのではないだろうか。
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