10月
2007
自虐的な苦労話はやめにしないか
忙しさをネタにするのをもうやめにしたい。
厳密に言うとここで「忙しさ」と表現したのは、自身がどれほど献身的であるか、また多くのモノを仕事のために犠牲にしてきたか、ということ。そしてネタにしたくないとは、自嘲的な笑いのネタとしてはもちろん、話のネタとしても取り上げたくないと考えている。
コンピュータシステム関係に従事する人は、トラブルや広い意味でのインシデントにまつわる「武勇伝」に群がる傾向が強いように感じている。おそらくきっと、プロジェクト ―時限を持ちステークホルダが多い仕事― に従事する人全体に想定的に言えることかもしれない。
どんな困難に遮られても諦めないその胆力を否定するつもりはない。また、事例共有そのもののメリットを切り捨てるつもりも勿論ない。
しかし、事前回避の可否や結末の成否はともかく、度重なるトラブルや突発的に表出するインシデントを面白おかしく披露しては、自虐・自嘲的な笑いや、果てには自身の献身に対する慰めや労いを誘い請うだけのものに対し嫌気が差した。しかし一方でそうして他人からこまめに「承認」を食いつなぐことが、精神的枯渇から身を守る重要な術であることも一定量理解しておきたい。
これは、世の中がどうとか言う以前に私自身を反省する意味が強い。犠牲を払い身を粉にして捧げ、その身体にめいっぱいストレスを抱え込んで、一体その先に何を求めているのだろうか、得られるモノは何だろうか。シェア、貴重な経験と自信・やりがい? 実は、教科書的なその回答のもう一歩先まで考えてみた所で冷や汗をかいた。
これらが得られたとして、その次に得られるものは「さらなる仕事」だったりしないだろうか。あれ、金銭的・時間的自由のよって報われるとは到底想像できない。何やらとんでもなく恐ろしいスキームに囚われている気がしないでもない。
まさに生き残りを賭けてまで、生き残るモノとは法人格だけだったりしないか。このスキームが無理あるものだとすれば、これに誰も気付かないのは危なっかしい。意図されたものだとしたら相当クロい。できれば気付くものの対処できずモガき苦しんでいると思いたい。
どうしても、言いたいことが感情的で挑発的になってしまった表現力の乏しさが若干悔しい。正直「やめにしたい」というより腑に落ちないというか、疑問を感じている。じっくり悩んでみたい。
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