タニシに必要とされるワタシ

妻から聞いたのだが、生活保護を受けながら飼っているタニシの世話に余念がないという人の話。飼っている子(タニシ)が死んだら、改めて川へ捕獲に出向くらしく、いわゆる一時的なものではないらしい。まず直感的に感じたのは、まさか食用タニシなどというものがあるのかということ、次にタニシの世話に必要な費用を貯金でもしてたらいいんじゃないかということ。
妻に言わせると、どちらも「そうではない」らしい。
少なくとも食用タニシは近所の川で捕れるようなものではないらしいので置いておくとして、保護されるような生活にありながら、なぜタニシを飼う(しかも食えない)のか疑問なのだが、妻曰く「例えタニシであっても、自分が必要とされている、ということを実感したいのではないか」とのこと。「タニシでもかー? えー。タニシやで。」と2、3度聞きなおしたのだが、なるほどよくよく考えてみれば全く理解できないわけではない。
そういえば私の両親は、せっかく(私を含めた)子供たちが独立し始め自分たちの時間がおそらく増えてきたと思われるのだが、今になって(昨年くらいか)ペットを飼い始めた。今までペットなどには一切興味すら示さなかったにも関わらずだ。「この子(犬)がいるからあまり旅行に行けない」とこぼしながら「きちんとゴハン食べてー」と子犬を叱る母や、「今日は(散歩で)沢山歩いたわ」と疲れた顔を見せる父を見ていると、先述のタニシの話が思い起こされる。
例え生活水準が低くとも、もしくは、長い年月を経てやっと得られた自由な時間すらも、「自分が必要とされること」へ傾けたその原動力は、ただ「世話好き」であったり「上位承認の欲求」の一言で片付けられるものではない気がしてきた。これは「ある/なし」ではなく、程度の問題であるから「多かれ少なかれ、そういった部分はある」で終わってしまう話である。しかし上例2件は、私にとって少なからずショッキングな(決して悪い意味ではなく、ただ驚かされた)行動であったのは確かであり、人はそういった振る舞いを見せることがあることは心に留めておきたいと考えている。また、この例を仕事に当てはめて考えてみるには、あまりにも極端になりすぎる気がしてきたので興味はあるんだけれどもやめとく。

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