12月
2007
膝上限界突破
先日、会社帰りに友人と一緒になり帰路を共にした。ここ最近、読書に熱が高まってきた友人が言うには「読んだ本の内容が全然頭に残っていない」ことに対して、ふとした「もったいなさ」を感じているとのこと(しかも、賢ぶって購入した新書においてその傾向が顕著だ、というプチ自虐ネタ付きである)。
なるほどその苦悶は一理ある。ウェブ閲覧で時間だけを費やすならともかく、身銭をはたいて購入した書籍だ。その内容が思い出せず、また身になっていない、投資への効果が実感できないことで疑問を抱き不安になるのは当然のことだろう。
しかし、私はそれでも良いと思えるようになっている。場当たり的な採用基準で購入した書籍が、一度頭に注がれたものの例えそれが流れていったとしても、それはそれで良いと考えている。全てを必ずしも「ストック」させることが効果ではない、ただ「フロー」させるだけでも、(実感は湧かないかも知れないが)効果がないとは言い切れないはずだ。関心のあるテーマなら類似したテーマの書籍によって、ただフローしただけの内容は思い出されてストックに変わる。投資への効果を期待せずにたれ流していれば必要な時にはフックされる、必要なければそのままたれ流し意識せずとも淘汰されていくだけの話だ。そのようにしておそらく自身にとって必要な、もしくは関心のある内容だけが何度か思い起こされ、さらに「どこに書いてたか思い出せない」状態にまでなって自身の思考回路に根付く。そんな風に考えている。
と偉そうに述べてみるものの、私自身、「どこに書いてたか思い出せない」ことに対して最近非常にもどかしさを感じている。やはり読後録を残して、頭からは「思い出せるきっかけ」だけを残して、エッセンスと詳細が思い出せる道筋は別に残しておきたいという思いが強い。
既に読了したものの読後録を残していない書籍が、読後録を残した書籍の数を上回ってきた。本棚に収められていない書籍が、読後録に記録されることもなく、自宅の床に数本の立派な「塔」を形成している。そして幾つかの塔は、臨界点を突破し崩壊・再形成を繰り返している、どうやら書籍を単純に積み上げる場合、「膝」がその高さの臨界点のようである。本もスカートも、なんとか「膝上限界」がまで頑張って欲しいも..失礼。
感想やコメントはともかく後回しでも、せめて同種のテーマの書籍を読んだことを思い出す、そのイニシャチブだけでも掴めるように、タイトルだけでも記録しておかなくてはいけないと感じている。あー正月の暇つぶしができた。
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