先日友人がおもしろいと紹介してくれた右脳と左脳のテスト(The Right Brain vs Left Brain)。
友人が紹介しておられた二次情報なうえに、紹介されてから随分日数が経っているため、一瞬投稿を迷ったのだが、私なりの主題をまとめるのに時間を要したとあらば許してもらえるだろうと勝手に解釈し、投稿することにする。
壊滅的とも評すべき私の英語力が間違えてなければ、リンク先の絵が右回りに見える私は「比較的右脳を使っている」らしい(全く逆の意味で訳していないか非常に心配)。もちろん、右脳左脳は、それぞれが役割を持っていて両方が相互補完的に働くものだから、右脳人間だとか左脳人間だとかラベリングするつもりは毛頭ない。しかし、私自信「どっちかというと右脳チック」なキャラクターへの憧れに似た願望があったため、正直どことなくうれしい。「ほら、そら算数も理科もできんわさ」 まーなんてネガティブな嬉しさなのだろう。
右脳・左脳という構図と、(よく互いのテリトリ間で摩擦を目にする)文系・理系という構図は、私の中では非常に相通じる構図を持っている。一方が推進力を持つエンジンならば、もう一方は舵を取るハンドル。一方が目的地なら、もう一方は到達ルート。余計にわからなくなりそうだ。一方が「ビジョン」なら、他方はそれを体現する「道具」だと。えいもっと強引に言ってしまえば「目的」に対する「手段」という構図だ。
昔話になってしまうのだが、私が無理に無理をして高校で理系クラスを受講していたことを思い出す。ずっと算数数学、理科化学は大嫌いだった私が理系という道を(一瞬たりであろうとも)選らんだのは、それはただ私が大のMっ気の持ち主だったという理由だけに留まらない。それは、中学生の時にテレビで(確かNHK)見たルポだ。番組もそのテーマも忘れてしまったのだが、今でもひとつだけ覚えているのが、「これからの社会は理系のできる文系を必要としている」という結論だった。もちろん中学生の時分に、「自ら表出力を備えたビジョナリスト」という解釈ができた訳ではない。しかし、目的地を思い描くだけでは到達できないという片輪に属する危機感と、同時に、ちょうどその頃コンピュータを使い始め、これで飯を食うと誓ったばかりのだったのに、きっと「これだけでは飯は食えん」と、もう片輪に属する危機感を併せ呑むように感じ取った。 と今だから(大そうに美化して)思い返すことができる。
ある書籍で出会った「『良い』モノを作っていれば本当に『善い』のか」といった衝撃的な問題提起や、極端な実際の例だと「ここは絵じゃなくてFlashにしてください」なんて話や、「これが会社のビジョンです」なんて話も、計測可能で結果が分かりやすい「道具」にばかり意識が注がれているような気がして、なんだかなー、と思ってしまうのである。 過程も大事。と見せかけの優しさを見せておいて、結局そうは言っても最終的には結果が全て。なんて言われると参ってしまう。別に誰に言われたわけじゃないけど。