ウェブ人間論
梅田 望夫 平野 啓一郎
新潮社
ウェブ人間論(Amazon.co.jp)
なんだかすごく変わりそうだ、とは共通しているものの、視点や価値観など様々な点で相違する二人は、言葉を慎重に選びつつお互いの考えをぶつけていく。単に「そうですよねぇ」なんて同意して思考停止して終わることなく、それこそ互いの価値観にまでえぐり込むぐらいにまで議論が活発だ。自分の中で感じている言葉になりにくい部分を慎重に表出化し、それを相手が内面に持つものと照らし合わせて、その同意点、相違点をまた表出化する。ある時は映画「スターウォーズ」に出てくるダークサイドなどといったメタファーも出てきては議論に一定の方向感が見えてくる。議題となる話題はもちろんのことながら、こんなにスリリングさが心地よい対談があろうか。
「情報は流しそうめんに」という節で平野氏が次のように述べている。
例えば、読書体験にしても、かつてはある本にたどり着くまでには、ある一定の読書体験というものがあったはずなんですね。大体、どういう本を読んでいるかを聞けば、その人の読書体験がどんなもので、どんなことを考えているかが分かる。というのが昔でしたけど、今は脈略がないんですね。
これを読んで、この間iTuneで久しぶりに音楽を購入しようとした際、今まで知らなかったアーティストの、しかも今自分が聞きたかった感じの音楽にすぐに(しかも充分に視聴したうえで)出会えてしまったことが、大変嬉しくもあったのだが、なぜだか少し寂しい感じがしたのを思い出した。書籍に限らず音楽にしても、自分に本当にぴったりのモノにめぐり合うには、その周りの情報にシソーラス的(ここで述べられている脈略部分)にアクセスした結果の集大成として得られるものであったはずであり、その過程で自分の「ピッタリ」の位置が微妙に移動したりしたはずだった。しかし、あまりにもあっさり中心(と今は思い込んでいる)ものにアクセスできたために、ちょっとした燃え尽きた感が生まれた気がしたのだ。iTuneで音楽を購入する場合には、後々になって気に入るようになったハズレを買うことも、ジャケ買いで思いもせぬ成果が得られる感覚も得られにくい。自分の好みすらも今までにないスピードで変わっていくようになるのだろうか。
